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傷つくかどうか

彼女はおそらく、

付き合うというよりも、この人とずっと一緒にいたいと思っているのだろう。

ことばをこえて。

けど約束という思い込みも時には必要ではないか、

でないと傷つくこともある

この世に子供がうまれた日

東日本大震災のあった衝撃の2011年の年末。

 

夜中、寝ている時に突然酷い腰痛に襲われた。

定期的におとずれる関節のきしむような痛み。

風邪かな?もしかしたらインフルエンザになったのかな?

寝たり起きたりを繰り返して、

そうかこれが“陣痛”なんじゃないだろうかということにようやく気付いたのは、

トイレでおしるしを発見した朝6時。

まずい、今日入稿の仕事がある。

出産日は1週間は前後するというけれど予定日よりも4日早かったので

全く準備が全然できてない。とりあえず助産院に電話してみる。

「陣痛がきたみたいなんですけど」

「そうですか、じゃあ痛みがもっともっと強くなって、

 5分おきくらいになったら連絡してこちらに来てください」

旦那に相談すると「今日はどうしても仕事休めないし、実家に帰ろう。」と、

定期的におとずれる陣痛の中で、猛スピードで準備をする。

まずは、パソコン…と着替え。友人にもらった新生児用の肌着に服。

そうか今日から里帰り1ヶ月はこっちに帰って来れないんだった。

冷蔵庫の整理もちゃんとしとけばよかった。などと思いつつ。



出産する予定の病院は、実家の近くの“まこと助産院”だった。

近所の産婦人科に診察にも行ったのだが、数回行った産婦人科はあまりにも機械的で事務的で、

30分待って診察も一瞬で終わる。

このままでいいんだろうか?と助産院の見学に行った。

「お風呂に入って、腰の後ろの腎臓を出来るだけあたためて。

 足首も冷やさないようにね。安定期に入ったら毎日2時間くらいは散歩にいってね。

 そうすると代謝が良くなるから。そうやって体重増加も10kg範囲で収めましょう。

 スクワットとか、股関節をやわらかくしてね。

 ヨガは行ったことあるかな?ヨガの深い呼吸法が出産の時にとても大事だから、

 マタニティヨガとか行ってみたら?」

やさしくはっきりとそう言いながら、1時間くらいかけて診察してくれて、

背中をお灸のマッサージ《テルミン》でじんわりとあたためてくれた。

健康的に産むことが第一条件である助産院での出産。

厳しいけれどあたたかくて、お母さんみたいな助産師さんの安心感。

出来ることならこちらでお世話になりたい。と私の心は決まった。

そしてこれは私の個人的な好みだが、出産は明るい蛍光灯の下でするのではなく、

このまるで自分の家のような白熱灯のぼんやりとあたたかい部屋でしたい。

と単純にそう思ったのだった。


10分おきにまるで全身がしびれる様な鈍痛に襲われる。

その間身動きが取れなくなる。緊張するが、子宮口が開くまでは力を抜かなければならない。

痛みがやってくると同時に、ふぅーーと鼻から深い呼吸をして力を抜く。

ヨガの呼吸。その度になんとか生きながらえる。

ともかく破水したら出産間近だそうだ。

入稿するまで破水しないで欲しいな…と祈ったりなんかしつつ、

クライアントに協力して頂き3件の仕事を終わらせた。


定期的な陣痛にもなんとなく慣れてきた夜7時頃、旦那さんの仕事が終わり実家に来てくれた。

仕事の都合でしかないが、出来れば出産には立ち会ってもらいたいというのが私の希望だった。

産まれる子供にとって、もちろん私たちにとって最初で最後の大きな大きな出来事なのだ。

出来るなら一緒に心に刻みたいと思った。

「赤ちゃんのタイミング次第ね」と、ありがたいことに

結局ちょうど次の日が仕事の休みの日を選んで産まれてきてくれた。

夜11時、陣痛の痛みが激しくなった。耐えきれずに電話をして助産院に向かう。

助産師さんが電気を付けて待っていてくれる。じゃあ診察してみましょう。

「子宮口、まだ3cmほどしか開いてないね。

 10cmくらいだからまだもうちょっとかかりそうね。

 ほらまだちゃんと話せてるから。話せないくらいの痛みになってくるからねー。」

「……こ、これ以上ですか。」

7分置きくらいに訪れる鈍い激痛の中で、

この痛みにまだ先があるのかということに恐れを抱く。


どうなるか分からないので、一旦家に帰る。

そして眠れなくてもなんとなく体を横にして、深夜2時頃、

「あーーーーー」とうめき声が思わず出る程に痛くなってきた。

これは、もうほんとうにいよいよかもしれないと再び助産院へ向かう。

「子宮口7cmくらい開いたね。もうすぐですよ。分娩室へ移動しましょう。」

遠くからじわりと陣痛がやってくる。

そのじんわりとした痛みは一気に大きな波となって私に襲いかかる。

「はい、深い呼吸してーーー」

ふぅーーーー押し寄せる痛みの中で旦那と助産師さんが何度も交代で背中をさすってくれる。

ありがたいことに、これが痛みと闘い続ける意識を本当に和らげてくれた。

そして陣痛が来る度に何度も何度も繰り替えす。

何回耐えただろうか、朝7時くらいになって子宮口がようやく全開した。

子宮口が開ききると、後は赤ちゃんが産道を通って出てくる為に思いっきりいきむことになる。

ここでたとえば日頃鍛えた股関節の柔らかさや腹筋の筋肉なんかが活きてくるのだろう。

陣痛が来る度に思いっきりいきむ。旦那に支えてもらい、様々にポーズを変えて、

人によっては血管が切れてしまう人もいるくらい、いきむ。


朝9時頃にようやく破水する、が、なかなか赤ちゃんの頭が出て来ない。

体力が次第になくなってくる、いきむ力も弱まってしまう。

そして10時ごろ赤ちゃんの心音を測っていた助産師さんが言った。

「陣痛がちょっと弱くなってきた?出口が狭くて出てこれないみたいね。

 赤ちゃんの心拍も少し弱くなったし、このままでは危険なこともあるので

 病院へ移動しましょう。」

朦朧とする意識の中、救急車で提携しているバプテスト病院へ急きょ移動する。

救急車の中の陣痛でもしかして産まれるんじゃないだろうかと何度か思ったが、

無事分娩室まで移動し、10人程の看護婦さんに囲まれて、数カ所の会陰切開の後、

(現在では7割〜8割近くの人が切っているそうで、残念ながら助産院ではそれが出来ない。)


12月21日、朝10時30分。



オギャーと元気に泣きながらこの世に新たな生命が誕生した。

赤ちゃんは確かに私のお腹から産まれた。

これが現実だということを実感して、 ぼろぼろと涙がでた。

いままで自分が存在していたことに、

両親に、旦那さんと出会えたことに、ずっと見守ってくれた助産師さんに

取り上げてくれた看護婦さんに、友人達に深く深く感謝した。
 





実は産まれるまでは男の子か女の子か聞かないでおこうと楽しみにとっていた。

私と旦那(そして大勢の人)は男の子のような気がしていた。

出産して男の子を確認したときに、予感ってあたるのねと思った。

そしてこの子をお腹に授かった同じ年に亡くなった父に

念願の男の子を抱っこさせてあげたかったなと思った。



はっきりいって子供が産まれるまで自分が親になる実感などまったく湧かなかった。

人の赤ちゃんをみて可愛いと思っても、それが自分と繋がることは一切なかった。

しかしお腹からオギャーと共にとつぜん現れた生命体。

それはあまりにも純粋で動物的で神々しい。

お乳をあげていると、そうか私も動物だったんだということを思い出す。

この精神の存在に不思議さを感じるが、それも結局本能的なものであるということだ。

ものごとを複雑に捉えすぎるのは人間の悪い癖だ。

出産というその行為自体は奇跡でもなんでもない。

世界中全ての親が全く同じ体験をしているし、私もそうやって産まれたことに気付く。


しかし子供を授かるということは奇跡的だ。

出会いから、誕生、私が存在する意味。

単純に自分がここに存在すること自体の奇跡。

本当に、すべてはこうなるように出来ているのかもしれない。

育児をしていると、ぽっかりと空いていた穴に、

ぴったりとピースがはまったような感覚になる時がある

決して多くではなく、必要なものが必要なだけ存在するような。

そして私はいままで何の気なしに生きすぎていた事に気付かされる。

物事には大切な事が沢山ある。ひとつひとつ意識を籠めていこう。


すべてのものには意味があるということを、彼は少しずつ知っていくのだろう。


子供は私に新たな視点を与えてくれた。

そしてそれと同時に、周りに存在するすべての子供や大人達も同様に

私に新たな視点を与えてくれるようになった。


それは自分がここに存在するということを確認したということでもある。

私はようやく地に足がついたのだった。